2012年6月28日木曜日

お茶ミル


最近お茶(緑茶)を家であまり飲んでいないことに気がついて、お茶を入れて飲んだが、急須に残ったお茶がらの片付けが面倒だなと(これまでは思わなかったのだが、ふと)思った。

そうだ、お茶を粉にするミルを探そうとインターネットを検索。お茶を粉にすること自体は以前コーヒーミルを使ってやってみたことがあるのだが、細かさ不足の上に、ほぼ摺る前の茶葉のままというものも出てくることがあって、お茶専用のものを探そうと思った。

見つけたのが「京セラ 【緑茶のカテキン・ビタミンをまるごと摂取!】セラミックお茶ミル 緑茶(煎茶)専用 CM-45GT」というもの。コーヒーミルで手動は大変だという経験をしているので、電動のものが欲しかったのだけど、見つかったものは1万円以上するのでパスして、手動だけどそこそこの値段(2,954円)のこれを試すことにした。

届いたものを早速取り出して、茶葉をいれてスリスリしてみた。セラミックの小さい臼で摺られて茶葉がパウダー状になって出てくる。

適量を湯飲みにいれて、お湯を注いで飲んでみる。おお、こりゃうまい。会社ではこれまで10年ほど給茶機用のインスタントティーを使ってお茶を飲んでいたけど、それよりおいしい。給茶機用のインスタントティーにはお茶以外のものが混ざっていてすっきり感が欠けている。

もうひとつ買って、家と職場の両方に一個づつ置こうかと考えている(いまのところ、カバンに入れて行ったり来たりしています)。モーターを付けて電動にすることはできないかな、とか思ったり。

2012年6月24日日曜日

カラスの看取り

こんなことがあるのだろうか。

一時間ほど前から、直線距離で100mぐらいの所にある電柱にカラスが20羽ほど集まってきて、ガ、ガ、ガとうるさい。何がるのだろうかと気になって見てみた。

飛んで来るカラス、飛び去ったかと思うとまた戻ってくるカラスでごったがえしている。縄張り争いか、とも見えるがどうもそうではないようだ。

ようく見ると、電線を支えている指示棒の下に架台のようなものがあり、そこから尾羽のようなものが見えて、ごくたまにそれが動く。どうやらその架台にカラスがいるようだ。そのカラスは他のカラスと違って飛んだりしない。ひょっとして弱っていて動けないのか。手許に双眼鏡が見つからないので目では確認できない。

少し他ごとに気を取られていて、気がついて見るとカラスの声が鳴いてはいるけど、ずいぶん静かなっている。

見ると、カラスは少しいるだけで先ほどの状態とはちがう。あ、架台の上の尾羽が見えない。

ひょっとして、と思って電柱まで見にいった。そうしたら、案の定、電柱の根元にカラスの死骸がひとつあった。

あれはカラスの看取りだったのだろうか。

2012年6月14日木曜日

白熱電球、製造販売自粛要請のおばかさん


政府が白熱電球の製造と販売の自粛を業界に要請したという。節電対策として。

なんという馬鹿さ加減だろう。すでにメーカーは電球型蛍光灯で代替可能な電球は三年ほど前に2012年までに生産中止を決めていて、すでに絶滅予定なのだ。

照明が占める電力消費量は2005年調査のもので13.7%。照明のうち白熱電球が占める消費量は34.8%(蛍光灯は64.0%)。つまり白熱電球は全電力の4.8%(蛍光灯は8.8%)を占めている。現在では昨年の節電騒ぎでLED電球がかなり使われるようになったので白熱電球で占める割合はもうすこし低くなっていると思われる。

全体に占める割合が一番高いのはモータで57%。

白熱電球すべてがLED電球に置き換わったとしても1%。減る量は4%(LED電球の消費量は白熱電球の2割程度として)。蛍光灯に対してLED電球は4割程度と見られるので、すべてがLED管球に置き換わると3.5%になる。減る量は5.3%である。

「節電」というけど、計画停電などが実施されることのないように、ピークアワーに使用量が供給可能量を上回らなければいいのだから、電球が存在価値を発揮する夜間に節電してもピークアワー対策にはならないと思う。

全体節電をすると、電力会社の収入低下、利益減少、利益確保のため電気料の値上げと回って、われわれにとって暑くて寒くて暗くて出費で何のいいこともない。

出典


2012年6月13日水曜日

落語一日一話


昭和60年5月10日初刷り、昭和62年10月20日九刷りの講談社発行「古典落語」という本が手元にある。きっと偶然見つけて買ったんだろうけど、買った記憶がない。

この本、落語が百ほど印刷してある。目次もあるけど、話の題目がてんでばらばらに並んでいる。あいうえお順でもなんでもない。ただ話が並んでいるだけ。目次を見て、目的の話を探そうとしても至難の業。だから前から順に読んでいくことになる。そうすると、飽きてしまって読まなくなる。落語は聞く方がいいに決まっているけどね。

先日、「落語一日一話」という本を見つけた。河出書房新社から出ていて2009年7月20日初刷のもの。三年近くも刷りを重ねていないものを手に入れたのだから奇遇と言うべきだろう。

この本、一年365日、一日に一話をあてがって話を超ダイジェスト紹介しているもの。一ページあたり二日。むかしリーダーズダイジェストという単行本をダイジェストして紹介する月刊誌があったけど、あれよりダイジェスト。余談だが、リーダーズダイジェスト、あんなものは読んじゃいけない、本はちゃんと読め、と文化論の先生は警句を発していたな。

なぜこの本を買ったかというと、一話として取り上げられている話を「古典落語」のほうで読もうと思ったから。「古典」のほうは百話程度しかないから365話からみたら三分の一以下。だから毎日「古典」を読むことにはならないけど、毎日目次を見ることになる。しかも話の題目は別名があったりして、それも考慮しながら目次を読むことになる。

来年のいまごろどれくらい「古典」を読んでいることだろう。目次はしっかり読んでいるだろうが。